先輩隊員の活躍を見てみませんか?
農業・林業
紋別市から山間部へ向かう途中。畑に囲まれた農村部に建つ一軒家で迎えてくれたのは、紋別市の地域おこし協力隊、寺岡聡希さんです。新規就農者として無肥料無農薬の野菜栽培に挑戦しながら、2022年に京都大学の大学院に進学。2023年6月には、来年3月の任期終了を前にして農家として独立するため広大な農地を新たに取得しました。大きな夢に向かって少しずつ動き出そうとしている寺岡さん。小柄な体に秘められた大きな夢を教えてもらいました。
前職で日本とヨーロッパに店舗のあるオーガニックのヴィーガン料理店に勤めていた寺岡さん。ロンドンの店舗に勤めながら、ロンドン大学の修士課程を卒業。食に関する専門的な知識を深めていました。「調理という実践と学術的な座学で”食”を学びながら、改めて人が生きていく上でいかに食事が大切なのかを感じました」。安心安全な食べ物を、農生産から加工販売まで自身で行い、消費者の方に届けられたら…。そんな夢をほんのりと抱き始めたのはその頃のことです。帰国後、会社の人に温めていた思いを伝えていきました。
2020年、コロナ禍で飲食店の客足が減少したのをきっかけに、会社が所有していた美深町の畑で農業に挑戦できることになった寺岡さん。初めての北海道で、初めての農業。わからないことは、本やインターネットで調べたり近隣の農家仲間に教えを仰いだり。なんとか6次産業化という夢に向かって生産者への一歩を踏み出しました。けれどそこでは、食品加工までできる施設はなかなか見つかりませんでした。
そんな悩みを抱えていたとき出会ったのが、紋別市の地域おこし協力隊の担当者です。ちょうど地場産品の商品開発という委託業務の募集があり、使える加工施設もありました。なおかつ住宅や農地も好条件の場所があるという偶然にも恵まれ、退職して移住を決意。まるで寺岡さんを待っていたかのような環境が整った場所で、地域おこし協力隊の活動をスタートしました。
「地域おこし協力隊という制度には、本当に感謝ですね」。突然小さな町に移住し、やっている人が少ない農法で野菜を作っていく大変さを知っている寺岡さん。だからこそ、受け入れ体制が整っている制度のありがたみを感じていました。「本当に人に恵まれているんです」と周囲への感謝をこぼします。
現在は0.6haの敷地で、24種の野菜を無肥料無農薬で育てています。主軸にしようとしているのは、一年目のテスト栽培の中でもっとも出来がよかったビートです。ビートは、上白糖など砂糖の主原料となる野菜。日本には今のところ有機栽培されたビートはありません。加工がうまくいけば、初めての有機ビートによる甘味料が誕生することになります。
試作品のシロップをひと口いただくと、角のないほんのりとした優しい甘さが口の中に広がりました。「化学物質過敏症やアレルギー反応がある人など、私が作りたいものを必要とする人がたくさんいることも知りました。そういう人たちの力になれたら」。完成させる時期は決めていません。自分が納得いくものができるまで、「おばあちゃんになっても諦めていないかもしれません」。商品開発へ懸ける思いが伝わってきました。
ビートに関わらず、有機農産物や健康食品づくりをより大きくやっていけるよう、新たに24haの農地を取得することにしました。家の周囲に広がる畑とは比にならない規模です。当然一人では手に負えないため、これから一緒に働く仲間も探すつもりでいます。そのほかにも機械導入の費用など課題はまだまだたくさんありますが、それらを一つひとつ乗り越えようとする寺岡さんは、それすらも楽しそうです。
「働くって、本当は楽しいことだと思うんです」。仕事は、生きていくために仕方なくやらなければいけないもの。そんなふうに捉えている人も多い現代。寺岡さんにとって、働くことは自分の芯にある問いと向き合う作業。大変なことがあっても、仕事を通して人生はもっと豊かなものになる。それを知っている寺岡さんだからこそ、自分の畑で働く人たちには楽しく働いてほしいという願いがあるのです。
寺岡さんの畑を案内してもらいました。お菓子のように甘いトマトに、ツヤツヤと輝くナス。枯れ姿も美しいキャベツ、雑草と競り合って育つ大豆。あるがままの畑で、思い思いに育つ野菜たち。「かわいい」と愛でながら歩く寺岡さんの横顔は、その日見たなかで一番輝いていました。無肥料無農薬で育てるためには、自然界にある栄養をたくさん取り込む必要があります。土中の微生物や太陽、虫や鳥。さまざまな生き物が共生することで、畑の野菜はおいしくなる。それと同じように、自分たちもそれぞれに楽しく働くことで、人も自然と共生できる環境をつくりたい。もともとラテン語で「喜びを伴う仕事」という意味を持つ「オペラ」から、「opera農苑」と名付けました。
猛暑の取材日。遠くからゴロゴロと雷雲が近づいて、北海道では珍しい夕立になりました。この雨も、植物にとっては恵みの雨。ザァザァと降りしきった後には、鳥と虫の大合唱。まるでオペラのような賑やかさに包まれながら、移動した自宅で再び話を聞きました。
リビングには三面に窓がついていて、湿り気を含んだ涼しい風が吹き抜けてカーテンを揺らします。窓の向こうには名もなき山の緑が見え、整理整頓された台所からは生活を丁寧に楽しんでいる様子が伝わります。「夜には天の川が輝いて、フクロウの鳴く声も聞こえるんです」。ともすれば何もないと感じてしまいそうな農村地帯での暮らしを、誰よりも楽しんでいる寺岡さん。「この場所で暮らせていることが、本当に幸せです」と、はにかみながら教えてくれました。
家の周囲の畑を指して、寺岡さんは言います。「昔はここに100世帯ほど住居があったそうです」。大好きな土地である一方、暮らすうちに過疎化や高齢化などの社会問題も見えてきました。そして、”地域活性”について関心が深まっていきます。「自分のやりたい農業や食品加工が、どのように地域の課題にコミットしていけるだろう。地域おこしとして自分ができることは何だろう。そもそも地域の活性化とはなんだろうという問いが次々に浮かびました」。答えを求めて手にした本の著者、秋津元輝教授の元で学びたいと思った寺岡さん。探究心のおもむくまま、教授が在籍する京都大学の大学院に進学することにしました。現在は週に一回リモートで研究室とつなぎ、論文を執筆しています。その内容は、地域おこし協力隊の自分の活動そのものを記録し、まとめたもの。これまでの自分の学問背景やつながりを活かして、紋別市で秋津教授を呼んだ講演会も実施しました。そういった、食の大切さを伝える食育の活動にも取り組んでいます。
紋別市がある道東地域は、北海道の中でも特に大規模な慣行農法が主流の地域。そこでオーガニックの農家としてやっていく大変さは、想像に難くありません。けれど、近隣の農家にお願いして無農薬のビートの苗を作ってもらうなど、良好な協力関係を築けているとのこと。背景には、やりたいことを地域の人に伝える努力を重ねてきたこれまでがあります。思いがあって行動している寺岡さんの姿を、地域の人たちはちゃんと見てくれているのです。そして、「もし誰かに何か言われても、気にしないようにしています」とあっさり。揺るぎない大きな夢を叶えるため、もっと遠くを見つめている寺岡さんがいました。